2020/01/18 19:11
今年最初の仏教談義です 何やらヘビィなタイトルですが。。。
先日たまたまテレビを観てると池上彰さんが言ってたんです
ベジタリアンとビーガンの違い
そんなん一緒やろ… と思っていましたけど
どちらも菜食主義には違いないんですがね
池上さんの解説によるとその目的がそもそも違うらしいんです
ベジタリアンは健康志向によるものでして
それはもちろん理解できるんですが
一方 ビーガンってのは脱搾取なんですって
なんじゃ?脱搾取?
何となくちょこっと怪しい臭いがしたので興味深く観ていました
動物の肉体はもちろんのこと
動物から作り出されるものも一切摂取しないんですって
なので 牛乳やチーズや卵や蜂蜜なんかもダメなんです
蜂蜜って・・・昆虫もかいな... (^_^;)
まあミツバチさんがせっせと集めてきたものを搾取してるってことか
なるほどそういう理念なのか
で 植物はええの? 生物ちゃうの?...
でもまあ いちいち細かく動物由来のものをチェックするなんて
めんどくせぇ~! 病気になりそう (´⊿`)
ちょっと個人的見解として違和感を持ったんですがね
いちおう昆虫以上の生命レベルという線引きで話しますが
ビーガンさんが食べる野菜やら穀物はもちろん農地で育てたものでしょうが
作物をイノシシや鹿や害虫なんかから守らなくてはならないんですな
ビーガンさんが今 おいしく食べている野菜の陰で
幾多の動物あるいは虫さんたちが犠牲になっているとは考えないんでしょうか
そもそも野生動物のエサ場を圧迫した元凶は人間さまで
山を切り開いたり野原を掘り起こしたりして さんざん植物を減少させてきたんです
害獣とか害虫とか人間が勝手に決めつけていますがね
彼らだって普通に食べ物を求めているだけなんですよ
もし仮に世界中でビーガンの人がものすごく増えたら
害獣とされる動物を締め出してでも 自分の食い分を守るんでしょうかね
人にとっておいしい植物は 動物にとっても昆虫にとってもおいしいでしょうし
結局とどのつまり 食べ物の取り合いみたいな構図になりますわな
肉も魚も野菜も穀物も食べることが出来る雑食性という恩恵を受けている人間さまが
なんであえて植物しか食べられない草食生物の食べ物を集中的に得ようとするんですかな
これもある意味 間接的搾取ではないかと思うんですがねっ
わしゃ生き物たちに一切迷惑かけへん生活してまんねん ( ー`дー´)キリッ
なんて 大きな顔して言ってんやないで!
仙人みたいに霞を食って生きてけっちゅうねん!
つい興奮してしまいましたが ここからは冷静に・・・
宗教的観点から肉食について述べたいと思います
イスラム教では豚は不浄なので食べないとか
実は豚さんはとてもきれい好きなんです
イスラム教圏の国は暑いので 豚肉は傷みが早いからというのがその根拠だと思います
ヒンズー教では牛は神聖な動物なので食べてはいけないらしいです
牛さんは荷車を引いたり畑を耕したりと 動力源として重要視されてましたのでね
キリスト教では基本的にタブーとされているものはありません
「食物として外から体に入るものによって心が汚されるのではない」
というイエスのことばがあります
では 仏教はどうでしょう
精進料理というものがあるように
修行僧は肉食をしないというイメージがありますが
それはあくまで修行の一環としたものであって戒律には含まれません
結論から言って仏教でも特にタブーはありません
キリスト教と同じように あきらかに体に悪い食べ物以外は拘っていません
ブッダ時代では修行者の生産活動というものを一切禁止されていました
モノを作って金品を得たりすることはもちろんですが
自分たちで農耕をして自給自足することもしませんでした
一日の時間をただひたすら修行に費やしていました
ではどうやって生きていたのでしょう
すべてお布施からです
人々から施された土地に住み 施されたものを着て 施されたものを食べていたのです
なので 施されたものはすべて受け入れていました
牛肉も豚肉も 時には王様から超高級な食べ物も
はたまた 病人の腐りかけた手ですくったあわ粥も
お礼を言うこともなく 何事もないように受け入れます
これがそもそもの「布施」の精神なんですがね
近年の日本仏教はこのへんのところを大きく勘違いしているんですよね ( ̄x ̄)
ブッダの弟子が肉を食していたところ 他教の修行者から「なまぐさ」と指摘されました
ブッダに肉食の是非を問うとこのように話されました
「怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、嘘をつく事、高慢、不良の徒と交わること、
これがなまぐさである。肉食をすることが<なまぐさい>のではない。」(スッタニパータ第2章)
おもしろいことにイエスも似たようなことを弟子に諭しています
前述のイエスのことばには続きがあって
「口から入って体内を通り抜け再び外へと排出されることによってそれらは清らかなものとなる」
犠牲と感謝の精神が強いキリスト教らしい文言です
要するに 清い心を持つ人の糧となる犠牲は
キリスト教的に言えば天に召されるし
仏教的に言えば上の境涯に生まれ変わるってことでしょうな
ビーガンさんであろうがお肉大好き人間であろうが
人はすべて多かれ少なかれ何らかの犠牲のもとに生きているのです
それを意識して常に感謝する心を持っていれば
脱搾取なんていう小癪な屁理屈はまったく馬鹿げたものだと
きっとブッダもイエスもそう言うと思いますよ(^ω^)

サラっちの大好物は
すなぎも~
お肉より すなぎも~!
トリ好きヘルシーな チミとボク (^w^)
トリさん ありがとー(^人^)
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