2019/06/04 10:04
先日 何十年ぶりかに違反きっぷを切られました(>_<)
右折禁止のところを右折したためだったんですけど
例の大津の保育園児死亡事故の後だったので
警察も特に右折関係を強化していたんですかね
止められるまでぜんぜんわからんかったです
いや 止められてからも何で止められたのかわかりませんでした
前方に4,5台同じように止められた車がありましたので
てっきり 事件かなんかで検問をしているのだと思いました
正直 今まで何回も普通に右折していました
ちょっと言葉では表しにくい変態的変則分岐の場所なんです
それゆえ 標識も瞬時には理解しがたいのです
そこのところ かなり突っ込んだんですがね
警官にもだいぶ言ってやりましたわ~( `o´ )
きっと タチの悪いおっさんやと思われたんでしょうな
勤務先の名前や所在地までしっかり聞かれました...
結局 言うべきことは言って素直にきっぷ切りに応じましたけどね
表示が判りにくいということは警官も認めていました
現に同じ勘違いで数台止められているんですから
次回の県警本部での情報交換会議で必ずあげておきます…という警官の真摯な態度で
互いに手打ち円満解決?
かれこれ30年近くはゴールド免許だったんですがね
今年の8月の更新でブルー免許ですわ
でも いつの法改正からだったか
ブルー免許になっても軽微な違反一回だけなら有効期限は5年のままらしいですけど
何がイタイかと言いますと
任意保険のゴールド免許割引がなくなります
管理人の場合 年間6千円ぐらいアップします
月にすれば5百円のもんですけど
向こう5年間と考えると トータルで3万円!
まあ 反則金と共に勉強代と思っときます (^_^ゞ
で 今回改めて感じたんです
人としてもっとも忘れてはならないのは反省と感謝だってことを・・・
勘違い違反はそもそもが思い込みのため
同じように何度も通っていると そのうちいずれは捕まります
ただ それは以降の知識として学習できます
そういうふうに考えられる人は 違反を自覚したことによって
「いつか起こしたかも知れない事故を未然に防げた」と
ある種の安堵感をも感じるものです
反省によって感謝の光を見るのです
しかし世の中には 違反とわかっていて故意にする人も多いです
携帯しながら運転している人
駐車違反を頻繁に繰り返す人
スピードを出す癖のある人
赤ちゃんやペットを膝に乗せて運転する人
言いだしたらキリがありません
こういう類の人は ついうっかりではなく常習なんです
いつもそうしているのであるから やっぱりいつかは捕まります
そして捕まれば 「ついてない」と なぜか悔しがります
違反だけで済めばまだ良かったのに
その先の想像すら出来ないんでしょうか
上っ面だけの反省からは感謝の心は生まれません
車を運転する以上 誰であっても危険は付きものです
すべての人が 違反や事故を起こす因を持っています
ただ その因のレベルは変えられるのです
そしてそれを変えられるのは自分自身以外にないということです
究極的にはゼロにすることもできます
車に乗るのをやめることです
現実的には高齢や病気にでもならない限り そういう選択は難しいですよね
だったら 因の要素を出来るだけ少なくするしかないわけでして
安全運転を心掛けられるかどうかは結局
人間的レベルにまで根深いものになるんでしょうかね
すごく久々に交通違反をして 胆に銘じたいと感じました
ソフト面では運転者個人の意識がすべてとも言えるんですが
それだけで因の要素を限りなくゼロに近づけるには限界があります
そこで ハード面に関しても時々思うことがありまして
ここはひとつ 文明の利器ってもんの恩恵にどっぷり委ねてみても良いかとも思うんです
具体的には 自動ブレーキ等の安全装置ですね
近い将来 自動運転も実現化するらしいほど日進月歩に進化しています
大津の事故も 池袋の事故も
今の最新安全装置が付いた車種なら 少なくとも最少被害で済んでいるはずです
安全装置をしっかり装備した車を 5年周期ぐらいで乗り換える
本当ならこれぐらいが理想なんでしょうけどね
お金がいっぱい要りますが…
費用的なバランスから考えれば 車は10年ぐらい乗るのがお得なんです
でも これからはきっと
今の時代 安全はお金で買えるんですよ~! って
メーカーもこぞって消費者に脅しをかけるでしょうね
ほんとうに 難しい車社会になったもんです。。。

タイトルの I'm in love with my car
QUEENのドラムだったロジャーテイラーの曲です
愛車への思い入れを 独特の唸り節でパワフルに歌い上げます
若かりし頃 夜のドライブでよく聴いてました
お気に入りのロックと流れる夜景 心地よいエンジンの響き...
それだけで充分 すべてのはけ口になった時代でした
燃費や利便性を求めるあまり 現代における車の役割は
すっかり必要悪的な道具と成り下がってしまったのでしょうかね
夢を乗せ 何処までも行ける気がしたオートモービルは
昭和平成と共に消えてしまった気がしてならないです
管理人のひとり言