2019/01/18 21:47


このところちらほらと管理人のぶっちゃけ仏教談義に

ご好評のお声をいただくようになってきました

ありがたいことです

先日の百万遍知恩寺手づくり市においても

昨年末に書かせてもらった「心の断捨離」について

あるお客さまからうれしいお言葉を頂戴いたしました

その内容がご自身の心のどこかに響いたのでしょうか

今現在の息子さんに対する思いの丈を とても感慨深くお話しくださいました

お聞きしたところ我が家と似た家族構成のようでしたので

感情移入が激しいののは ただちにボロ泣きでした (↑ω↑)


子を持つ者は子によって喜び 子によって憂う

ブッダのことばのひとつですが まさにその通りです

思えば自分自身もそうだったんですが

二十代というと子供から一人前の社会人へと変わる時期です

とは言え人生経験が未熟なゆえ 不安定で多感な精神状態なんですよね

親としては一番気にかかる年頃ではないでしょうか


母の愛は海よりも深いっていいますが

ある意味それは底がないってことにもとれますし

特に異性である息子にとって

時には不気味で重いものに感じたりするんですよね

今年84歳になる管理人の母でさえ

孫よりも誰よりもやっぱり息子のことが一番気がかりだと

ある時ふと言ったことがあります

還暦に近いおっさん捕まえて きしょいこと言いよるわ~(-.-;)

でも ほんの少しだけ

なんだか むずがゆい心地よさを感じました

それは 遠~い昔の懐かしい感覚でした

この年齢だからこそ そう思えるのかも知れませんが...



ところで急に

かなり昔に観た映画を思い出しましてね

「イタズ」というだいぶ昔の邦画なんです

イタズというのは東北地方の方言で「熊」のことらしいんです

ざっくりストーリーはこんな感じです


腕利きの老マタギ(猟師)がある巨大な熊を仕留めたんです

後で気付くとその熊は子連れの母熊だったのです

それは本来マタギの掟で殺してはいけないことになっているんです

責任を感じたマタギは子熊を引き取り育てます

孫たちも子熊を可愛がり すっかり家族の一員になりました

しかし成長した熊は山に返さなければなりませんでした

やがて年月が経ち 熊との別れも忘れかけていた矢先

村人が巨大な熊に襲われたという知らせがありました

直感的に自分が育てた熊だと悟ったマタギはひとり山へ入るのでした

かつて愛情を持って育てた子熊は 皮肉にも人を恐れない危険な存在となっていました

マタギは人の手で育てたことの後悔と自責の念にかられます

熊もまた自分を育ててくれたマタギを認識し何かを悟ったようです

その場を去ろうとする熊に ただ一発の弾を込めた鉄砲が火を噴きます

が 次の瞬間 鉄砲の音で雪崩が起き マタギは熊と共に雪に埋もれ

ふたりはそこで静かに眠るのでした・・・


これはきっと父親的な愛情だと思うんです

いつかは自立して離れていくものだと分かっていながらも懸命に育て

もし道を外れるようなことをしたのならば 刺し違えてでもケリをつける

それはあくまで自分自身の責任として

切ないんですけどね・・・

可愛い子熊ちゃんであっても 成長すれば人食い熊になることもあるんです

それはもはや同一のものではないんです

年月という時間が 両者をまったく別個のものにさせたのです

仏教的に言えば 諸行無常ですね


でもですね

父親の愛 母親の愛 それぞれ違ったもので良いと思うんです

というか むしろ違うものでなければダメだと思います

子は鎹(かすがい)って言葉があります

鎹というのは建築用の金物で 柱と梁を繋ぎ止めるかぎ状の釘です

柱と梁は夫婦で その仲をしっかりと繋ぎ止めておくのが鎹 すなわち子供だという意味です

柱と梁はそれぞれ垂直方向と水平方向のまったく違った方向の応力に耐えられるよう

木材の種類も性質も違うものとなっています

その性質の違うもの同士をしっかり繋げている鎹ですが

鎹自身が柱と梁の違いをちゃんとわかっているからこそ鎹でいられるんです

柱と柱 あるいは梁と梁 性質が同じもの同士を繋ぎ止めるには無理なんです


海より深い無償の愛

人としての道を貫く厳たる愛

言葉ではなく心で以って

子はその違いをちゃんと理解しているもんです



管理人のひとり言