2018/12/20 11:08

年末ですね そろそろ大掃除の時期ですね

この際 要らないものは捨ててみませんか?

使うかもしれないし 着るかもしれないし もったいないし残しとこ…

特に昭和生まれの人間はついついそんな風に思ってしまいます

決して悪いことではないのですがね

でもそういうものって結局ずっと眠りっぱなしなんですよね (´^ω^`)

自宅に倉庫のような広大なスペースがあればそれも結構ですが。。。


今日はモノの断捨離ではなく

心の断捨離についてお話をしたいと思います

というのも

今年は自分たちの周りの人々について 色々と思うところがありましてね...

やっぱり人って モノだけでなく自分自身の心も断捨離せんといかんなぁ~ って…つくづく("^ω^)・・・


仏教の中核をなす真理で四諦(したい)というものがあります

これを知っていれば仏教のすべてを知ったのと同じ... というぐらいとても重要な真理です

四聖諦とも言うんですが いわゆる四つの法則であって それらは必ず因と縁という関連性を持っているのです

「苦」「集」「滅」「道」の四つなんですが この解説をするとめっちゃ退屈になるので割愛いたします

で ここで言いたいことは この四諦の「諦」という字

あきらめる…ですよね

要するに 我々がどんなにあがいても決して曲げることができない諦めるしかない法則… ってな意味なんです

仏教において悟るってことは結局 少々乱暴な言い方になりますが

「諦めろ!捨ててしまえ!」なんです


ブッダの十大弟子のひとりでアーナンダっていう人がいました

漢訳では阿難(あなん)と言い お経にもよく登場する人物なんです

それもそのはず アーナンダはブッダが亡くなるまでの25年間 ずっとブッダのお付きをしていた人です

なので ブッダが説法をするのを常に横で聞いていたので 十大弟子の中でも「多聞第一」と謳われていました

ブッダとは齢の離れた従兄弟関係で お互いに気ごころが知れていたということらしいです


さて ブッダが亡くなった後の話

ブッダが生前に語られた説法をまとめるため 悟りの域に達した長老たちが会議をしようということになりました

これを第一結集といいます

ところが 最もブッダの生の声を聞いたはずのアーナンダはこれに参加できません

年齢が若かったこともありますが 皮肉にも常にブッダのお世話をしていたがため自分自身の修行が一歩遅れていたのです

正直 アーナンダなくしては結集が成り立ちません いわば最重要証人のようなものです

長老たちは何とかと思って アーナンダに修行猶予期間を与えます

もともと聡明な彼は常にブッダのことばを理解していたのですが

何ぶん自分と向き合える機会が少なかったため あと少しというところが足りなかったのです

彼はひとり静かに森の中で瞑想に入ります

いよいよ期限前日 心に焦りもあったのでしょうか いまだ彼は悟りの境地に達せません

夜が明けようとした時 彼は組んでいた足を解き そのまま横になりました

諦めたのです

が その瞬間です 彼は悟りの境地に達しました


ブッダが弟子たちに言った教えのひとつにこうあります

「もし真理を理解したのならばすぐにその内容は捨てなさい」

それは何故か 真理でさえもそれにとらわれると執着になるからです


実はアーナンダはとっくに真理を理解していたのです

彼に唯一足らなかったものはそれを捨てること…


「如是我聞」

初期仏教の漢訳経典の冒頭には必ずこの文字が入ります

このように私は聞きました… という意味です

第一結集の場において 多くの長老たちの前で堂々と発したアーナンダの言葉です


諦めることなく努力することをこの娑婆世界では美徳とされます

確かに現実社会を強く生き抜くにはこの精神は必要だと思います

一方で「人間あきらめが肝心」なんて格言もありますね

まあ それはケースバイケースですけど…

ひとつだけ言えることは

人には必ず何かを諦めて捨てなければならない時が来るってこと

そのためにも 常日頃から心の断捨離に慣れておけば

結局それが一番楽な生き方になるのかも知れませんね (^_^)v



寒い冬はここに限るわ~ って?

チミの心は 直球すぎて 捨てる要素ないな

ある意味 うらやましい~("^ω^)



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