2018/10/09 11:08
最近観たネット配信映画をご紹介します
『禅 ZEN』です

鎌倉時代に宋から曹洞禅の教えを持ち帰った道元禅師の半生を描いた作品です
道元役が中村勘太郎さん(今は中村勘九郎)です
あと ひと昔前アイドルの内田有紀さんが実にいい演技してました
「座禅」と言えばストイックなイメージですが実際には意外と親しみやすいんですよ
管理人も日々瞑想を日課にしていましたが この作品を観てからは座禅に切り替えています
と言ってもほとんど同じですがね…
で 瞑想と座禅は何が違うねんって話ですが
実は座禅も瞑想という大きなカテゴリーの中のひとつなんです
瞑想とは読んで字の如く目を瞑って想いをこらす…ってことで基本何かを想ったりイメージしたりします
それによって集中力を高めたりストレスを軽減したり
もっと究極レベルになると最終的には悟りを開くってことになるんです
要するに目的ありきで それに向かう手段として瞑想がある訳です
日本の禅宗でも宗旨によってはこういった瞑想に近いやり方もあります
ただ道元の禅はそれとはぜんぜん違います
座禅中は何も想いません イメージもしません 目的も求めるものもありません
ましてや悟りを求めるなんてこともないです
何のために座禅をするのか そういうこと自体も想いません
ならば「無」の境地なのかと問われると 無も有もありません
ただ座っている… になりきるのです
これが道元が説いた「只管打坐(しかんたざ)」(ただひたすら座る)というものです
もちろん凡人は雑念が沸いてきますがこれはこれでよいのです ありのままを受け止めます
ただ雑念を雑念と気付いたならすぐに消す努力は必要です
自分の心をコントロールする訓練のようなものですね
あと 瞑想は概念自体がほわっとしていて形式的なこだわりというものがあまりないんですが
座禅はきっちり形が決まっています もちろん宗派によって若干違いますが...
参考に安倍首相のツイートから写真を拝借しました
何となくパフォーマンスっぽいですが・・・

目は完全には閉じません 半眼と言っていわゆる薄目です
手は法界定印(ほっかいじょういん)と言う形 これは自己の仏性に向き合うための印です
足はあぐらのように見えますが違います
この安倍首相のは半跏趺坐(はんかふざ)ですが
本格的にするには結跏趺坐(けっかふざ)です
座禅に限らず 数ある瞑想の座法で最上のものは結跏趺坐です
半跏趺坐と結跏趺坐はこれです

結跏趺坐は古代インドからの歴史があり別名を蓮華座(れんげざ)とも言います
女性の方でもヨガをされる方はご存知かと思います
このふたつの座り方 足の痛みがぜんぜん違います
一般ではほとんどの人が楽チンな半跏趺坐ですが
何事も中途半端が嫌いな管理人は結跏趺坐でやっています
最初の頃は10分もすると足がもぎ取られそうに痛かったですが
今では一回45分の標準的座禅タイムは余裕でこなせて 快適な座禅ライフを楽しんでいます (*・∀・*)V
基本的に結跏趺坐が無理な人が半跏趺坐にするんですが 中にはそれも無理な人も結構いるんです
そういう人は普通のあぐらでも正座でも座椅子でも構わないそうです あくまで一般人なのでね(^ω^)
で そこで
なんでわざわざ痛い座り方で頑張ってるねん… ってことになるんですが
管理人もですね 自分でやってて疑問でしたよ…
苦痛に耐えてこその修行かな?…とも思いましたが
そもそもブッダは苦行を完全否定していますのでね ちょっと辻褄が合わんのですわ
で 結跏趺坐にようやく慣れた頃 一通り色々な座り方で試しました
結果 姿勢的に結跏趺坐がもっとも安定するんですよ
なんか腰から下が床に根付いたようなどっしりした安定感があるんです
しかもこの座り方では自動的に背筋が伸びるんですよね
半跏趺坐ではどうしても片膝が浮いて全体的にバランスが悪く 体のどこかにひずみが来そうな感じなんです
で さらに凄いことを実感したのは
身体の安定はそのまんま心の安定になるんですよ これが…
ここんとこが座禅の称賛すべき点でして
例えば単純に椅子に座る時でも 背筋をピンと伸ばして座ると心もシャキッとなりますわな
ざっくり簡単に結論を言わせてもらうと まずは形から仏になれ!…と
それにつれて心も仏へと近づく…ってな理論
まあ ブッダが仏になった(悟りを開いた)時もこの姿だったのですから何となく説得力ありますよね
要するに形から入っていくタイプなんですね(ゝω・)
てなわけで がっつり本気でやるなら結跏趺坐しかないな…と
一説によると足のツボを刺激して内臓が丈夫になるっていうオマケもあるそうで…
話は座禅のウンチクになってしまいましたが("^ω^)
映画の所々で感じたんですが
道元が弟子や信者に対する中でブッダの言葉を思わすものがいくつかあるんです
まあそれは映画の脚本だとは思うんですが
実際的にこの道元という人 ブッダにゾッコンだったらしいんです
ふつうこの時代の僧たちにとっては釈尊(ブッダ)は余りにも遠すぎるものだったんです
雲の上どころか宇宙のはるかかなたの存在です
僧たちが目指す手本としたのはその宗祖 たとえば浄土真宗なら親鸞 真言宗なら空海
あるいは宗祖から脈々と受け継いだ直接師事した師匠とかですね
道元はもちろん直接的な師匠はいますが そこからむっちゃジャンプしてブッダにタッチしてるんです
ブッダが好き過ぎたんでしょうかね (○>ω<○)
なので 形から仏… なんでしょうね
気持ち すごく わかります・・・
道元の教えを知ろうとあるひとりの異宗の修行僧が寺に来ました
教義を記した書に一通り目を通した修行僧に道元が言ったんです
「あなたも座ってみませんか?」
ああ これが只管打坐ということなんだなと…
あれこれ理屈で考えてないでとりあえずは座ろうよ 座ればわかるよ… ってことなんですね
ところで安倍ちゃんよ… 結跏趺坐せな。。。
半跏趺坐やと不安定やろ そのうちひずみ出てくるで…
長~くは居座れるけどな(ᅙωᅙ)ふっ・・・
管理人のひとり言