2018/08/08 19:05
そろそろお盆の時期ですね
管理人宅では別に何もしませんが…
ブッダの説いた初期仏教のどの文献にもお盆の「ぼ」の字も出てきませんのでね(^ω^)
お盆は正しくは盂蘭盆(うらぼん)と言います
これは昔のインドの言語で「ウランバーナ」という言葉を無理やり漢字に当てただけです
その意味は「逆さ吊り」です
なんじゃ???… ですよね
ブッダの弟子であるモッガラーナという人が死んだ母親が餓鬼界で逆さ吊りになって苦しんでいる姿を見たんです
何とか助けてやりたいとブッダに相談したことがこの「お盆」のルーツです… ということになっています
ただこれは「盂蘭盆経」というだいぶ後世の人たちが作ったお経なので ぶっちゃけ作り話なんですよね
ブッダが聞いたら 「ワシゃ こんなこと ぜんぜん言うてへんで~」となります
それと ご先祖の霊が帰ってくる…なんて言いますが これも嘘っぽいですね
何故ならブッダは霊というものの存在を否定しているからです
要はその人の心が作り出すものなので
当人が有ると思えば有るし 無いと思えば無いのです
実体が無いから存在はしない いわゆる「空」(くう)の概念ですね
仏教の根本教義は因縁生起です
因となるものが縁によって生じるんです
人は肉体が滅びても生存の因は残ります
その因が何らかの縁と出合う時に再びこの世に生じます
たとえばですが
水が入った器を炎天下に置いておくといつの間にか水は無くなってしまいます
でもそれは無くなるのではなく蒸発して大気中に漂っているだけです
水としての形と場所が変わっただけで 水の分子H2Oであることには変わりありません
もとの器に入っていた水がある人の一生だとしたら
水が無くなった状態がその人の死ということです
で 雨が降るという「縁」によって再び器に水が溜まります
これがいわゆる生まれ変わりなんです
でも厳密に言うと 前の水と後の水とでは見た目は同じですが分子単位ではぜんぜん違うものですよね
同じような感じで再生しますが前の水のことなんて知る由もありません
あと これに補足しなければならない大事なことがあります
実はこの器こそが生存の「因」に相当するものでして
もしこの器が非常に汚れていたらどうでしょう
新たにきれいな水が入ったとしても結局汚れた水になってしまいますね
逆にいつもきれいな器ならそこに入った水もきれいなままです
これが輪廻というもので 同じ境涯を何度も繰り返すんです
とことん汚れた人いますよね… 昨今のニュースなんかでもよく・・・(;´⌒`)
なので 自分の器は常にきれいに保つ努力をし続けなければならないんです
これが「人生は修行」…っていわれる所以なんです

チミの修行はこれだ!(強制歯磨き中)
管理人のひとり言