2017/07/08 15:32

ただ単に モノ のように...
実家でひとりで暮らしていた母が腰を悪くして
とうとう老人ホームに入ったのが5月の初め
実家は誰も住むことがなくなったので売りに出しましたが
先日契約を結び 近々明け渡すこととなりました
とにかく 年寄りはモノを捨てよらんのですわ!
30数年分の家財道具やガラクタやゴミ類の量たるや想像を絶するものでして
ある程度は自力で頑張ろうとしたものの
さすがの万能人間である管理人をもってしても心折れてしまいまして
結局 不動産屋売却で廃棄も含めてまるまる明け渡しで折り合いが付きました
で 最終的に仏壇はどうするということになって...
以下 母との応酬
はは: 仏壇はどうするんや?
わし: 仏壇は廃棄で位牌はお焚き上げやな
はは: お焚き上げてお寺に納めるんか?
わし: 家の庭で燃やす
はは: な、なんやて
わし: 赤の他人の坊さんに大金出して訳の分からんお経唱えてもろて終わりより
子孫であるわしが自ら心を込めてお焚き上げして無に帰してもらう方がええやろ
はは: (絶句)
わし: わしの代で墓も仏壇も終わらす 寺とも一切の縁を切る
少子化の世の中や わしが引き継いだとしてもどこかの代で絶えるやろ
子供らに引き継がすのも可哀そうやしな
こんなこと出来るのはわししかおらへんし
はは: ほ、ほな あんた死んだらどうするんや
わし: 法律上は火葬してもらわなあかんわな お骨はぜんぶ火葬場で引き取ってもらう
お骨拾ってもどうせ大半は捨てられるんやし一緒や
もしくは海に散骨やな それでおしまい
死んだもんにいつまでも金使うな 金は今を生きてるもんが生きるために使わなあかん
はは: あんたも地獄行きやな(引きつり気味の微笑)
わし: それで地獄やったらお釈迦さんも地獄に行ったはるわ
地獄でお釈迦さんの説法が聞けるんやったらそんな嬉しいことはないで
はは: バチ当たりが・・・(あきらめの境地っぽく)
わし: まあ 今年中に変な死に方したらそれがバチやと思てくれ
母もある程度想定していたので大喧嘩になったり大泣きして懇願することもなく
会話自体はあっさり終わりました
かれこれ30年ぐらい初期仏教の文献を読み続けて来ました
初期仏教とは現存する仏典の中で最古でありブッダ(お釈迦様)の教えに最も忠実なものです
根本仏教とか原始仏教とか言い方はありますが同じ意味です
現在の日本仏教や墓や位牌というものが本来のブッダの教えとはかけ離れている
ということを今まで事あるごとに力説していたものですから
母としても 「ちっ!やっぱりか...」 程度にしか感じてないです
ここで詳しくは書きませんがその根拠となることを少し挙げます
ブッダは物質的なモノの存在を実体の無いものとして一切否定した(いわゆる色即是空)
ブッダは心こそ物事の根本であり一切の現象は心に基づくものと説いた(ダンマパダ第一句の最重要の真理)
ブッダは一切の執着を捨てるこそが苦から逃れる唯一の方法だと説いた(四諦=したい 苦の成り立ちとその消滅)
故人の遺骨を拝むのは悟りを開いた者(ブッダ)の遺骨に限られる(信仰の対象としてブッダの教えを思い起こすため)
位牌はそもそも儒教の要素を無理やり仏教に取り入れたもの(単に故人を想うための対象物 現在では写真のほうが有効的)
そして仏壇は位牌を納める箱(写真を保存するアルバム 現在ならパソコンやクラウドということになる)
他にもありますが決定打となるのが日本仏教の檀家制度
江戸時代に幕府がキリシタン弾圧のために発した制度です
異教による反乱を恐れた幕府は寺院僧侶に特権を与え 国民を管理し同時に監視していました
今でも一部の坊さんが偉そうなのはその名残です
日本国憲法第20条=信教の自由が制定されて久しいのですが
いまだに檀家云々というのが信じられませんね
さすがに各お寺でも檀家改め檀徒と言うようにしているようです
家単位のなかば強制ではなく個人信者ということです かたちの上ではですが…
どんな宗教でも信じる自由と信じない自由 どちらも個人の自由として憲法に謳われています
しかしですね
いまだに誤った仏教に惑わされている人があまりに多いことを嘆きます
本物の仏教をしっかり理解すれば今の日本仏教のええ加減さがアホらしく思います
逆に言えば宗教観に疎い人は昔から脈々と続く悪しき固定観念に流され続けているのです
日本人は宗教に関心がないと言われる所以です
まあこれも含めて信教の自由なんですけど
ただそれを後世に押し付けたり期待したりするのは憲法の精神に反しています
ほとんどの人はご先祖の祟りがあると思ってこのような言動は恐ろしくて出来ないと思います
人は無明(むみょう)であるが故そこから恐怖が起こります
無明とは無知であることです
無知というと語弊がありますが決してアホということではありません
正しい真理を理解していないということです
調子に乗って長々と書いてしまいました(本当はもっともっとありますが)
これぐらいにしておかないとなまぐさ坊主に攻撃されそうです
(本当の真理に通じた僧侶もおられますが 何せ彼らもサラリーマンなので...)
ちなみに管理人は特定の宗派を信奉しているわけではありません
ただ単に ブッダの教えのとおり生きて行こうと 自分の心で決めました
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。
車を引く牛の足跡に車輪がついていくように。
法句経(ダンマパダ)第一章第一句 岩波文庫 中村 元訳 原文のまま
ふと 目が合いました
五体投地しとる・・・
とーちゃんに付き従います...ってか?
サラっち: なんかちょーだい
管理人のひとり言